春の3連休。
相変わらずの思いつき旅行。1週間前にマイレージ航空券の空き状況確認したら往復で空いていたのがたまたま松山だっただけという偶然に導かれ、小雨ふる羽田空港を出発。
1週間でささっと予習して、今回の旅は野球と田舎風景と坂の上の雲を旅のテーマにした。
風光明媚な瀬戸内の島々を見おろしながら松山空港に着陸、バスで15分ほどでJR松山駅。早速駅前にバッティングセンターがある。四国リーグ、なんてのもあるぐらいこの辺は野球が盛んな土地だそうだ。
というわけでまずは野球。で、無料の野球歴史資料館に興味があったので、更にバスに乗って松山が誇る坊ちゃんスタジアムへ行く。ちょうど数十分後に放映が始まるWBC4度目の日韓戦のPVでもやってたらいいのになぁーなんて思いながら。
しかし、地方都市に良くある間違い。松山駅と松山市駅は違うんだよね。バスの発着点を間違えて数時間に1本しかない直行バスをのがしてしまった。
とりあえず近くまで行くバスに乗り、そこから河原をてくてくと歩いてスタジアムへ。とにかく巨大だから遠くからでも良く見える。時間をロスしたせいで、ちょうどWBCが始まってしまった。菜の花咲く春の河原を歩きながらWBCをワンセクで見るって、今回のテーマにぴったりじゃない♪
スタジアムの前には正岡子規の句碑。正岡子規は明治時代にアメリカンベースボールを日本に広く普及させた功労者で、この生まれ故郷の松山は彼にちなんだ名跡も多い。
と言うわけで野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」。祝日の午前中とあって貸し切り状態です♪まー普段からこれぐらいの空き具合だろうけど。
まずは右手の愛媛県高校野球の歴史の部屋。入口でバットを構えるのはユニフォーム姿の正岡子規。そしてかつての愛媛県代表校の甲子園名場面ビデオが流れ歴史を感じさせるバットやトロフィーが陳列されている。
左手がプロ野球の部屋。清原や松井(の映像)を相手にストラックアウトゲーム。それから坊ちゃんスタジアムでプロ野球球団が合宿をしたときの様子、地元出身の大リーガー岩村選手の展示物、他にも古田選手やイチロー選手など名プレーヤーのユニフォームなど寄託品寄贈品が展示されている。
この時点でWBCあんまり活躍できていない岩村選手。がんばれ郷土の星!
(舞台をアメリカに移した2次リーグからは大活躍。さすが大リーガーだった)
ユニフォーム結構大きいなあ。
こちらは野球殿堂の間。功労者正岡子規もちゃんといます。
意外に面白かったのが野球ゲーム。
一つ目は、中学野球レベル・高校野球レベル・プロ野球レベルの難易度を選んで、ピッチャーが投げて来る球に書かれたさいころの目を読み取る動態視力テスト。中学野球レベルは余裕で読めるけど、プロ野球レベルは全然歯が立たない。
二つ目はコース見極めテスト。自分が審判になって、ピッチャーが投げて来る球がストライクがボールかを判定する。
WBCを見ていて解説の古田がすぐに球種を言い当てているのがすごくかっこよくて、自分もあれが分かればもっと野球が面白いんだろうなあと思っていた矢先だったので結構楽しい。
でまだ全然当たらないんだこれが。そして判定を間違えると「Are you right?」「Miss judgement」などの警告文とともに判定を不服としたピッチャーまたはバッターがガンを飛ばして来るのがすごくプレッシャー。うううごめんなさい~ヘボ審判で。
何度やってもはずれでした。悔しー。このゲーム家に持って帰って訓練したいっ!
なんて遊んでると時を忘れてしまう。次の電車の時間を気にしつつ、球場の外でワンセク観戦。いやぁホントに便利な世の中だ。
そうそうこの坊ちゃんスタジアム、JR市坪駅の目の前にある。で、駅の表示に「野球(の・ぼーる)」の二つ名が。これは正岡子規の若い頃のペンネーム。本当に野球好きだったんだなぁこの人。
休日運航の観光用アンパンマン特急よりも一両しかないローカル列車を選びました。菜の花で縁取られた線路、山間部に咲く桜をゆったり眺めながら次の目的地、内子へ。
内子は江戸時代後期からの町並みが保存された地区や山間部の石畳地区棚田など日本の原風景が残る地域。写真で見てその美しさに惹かれた。
駅前から少し離れた内子の旧建築保存地区へは可愛らしいレトロバスが運航しているがあいにく棚田への交通手段は無い。
内子町HP
地方都市観光はレンタカーを借りた方がいいのねと前回の天草観光に引き続き思う。
でもせっかく来たんだしということで、見て回りたかった希望のポイントを一時間ちょっとでタクシーで回ってもらうことにした。うわ贅沢。
タクシーの運転手さんガイド付で石畳地区観光開始。ちゃんと記念撮影スポットで車を止めて時間を作ってくれる。まずは田丸橋。橋兼倉庫として使われたので屋根がついている珍しい形の橋。
年末のNHKドラマ「坂の上の雲」のロケ地にもなっていて、正岡子規の妹役の菅野美穂がここを走っているそうなので、放映を楽しみにしましょう。
車はさらに山奥へ、石畳清流園の水車小屋でまた停車。もう少し遅い時期に来れば水車で挽いた蕎麦を打って食べるイベントがあるそうで、その頃は大賑わいだとか。でもこの人気ない貸し切り状態がいいんだよね。
ここから車は勾配をぐんぐん登り、山頂部からは棚田が見下ろせる。棚田では葉タバコも栽培されていて、まだ時期が早いので寒さから守るために黒いビニール袋がかぶせられている。もう少し遅い時期に来れば苗にかぶせる霜よけ用の三角帽キャップが並ぶ風景も春の風物詩として目に楽しいとのこと。
池に囲まれた弓削神社は屋根付きの太鼓橋を参道にした神秘的な空間。
橋という舞台効果のせいか、池を囲む森から誰かが見ているような感覚。
太鼓橋の細くて頼りなく見える支え木は栗の木で、水にも腐りにくいから選ばれたという。実際歩いてみると全く不安なく、きちんと整備保存されているのが分かる。
最後は樹齢250年を超えるしだれ桜。まだ三分咲きだったけれど、折から強く吹きはじめた風にあおられて枝を荒々しく揺らし花びらを降らせる姿は田舎の桜に相応しくたくましい。
これだけ日本の原風景を美しくとどめている所も今はそう多くはないそうで、昔からいろんなテレビ時代劇のロケ地に使われているという。運転手さんが載せたことのある大物俳優や、隣町出身の作家大江健三郎の話など色々教えてもらいながら貸し切りタクシー観光は終了。
タクシー運転手さんオススメのレストランで春爛漫な蕎麦料理を食べた後は、保存地区の先にある宿まで散策。
ちょうど旧暦桃の節句に当たるのか、商店街の軒先はひな段飾りを自慢しあっているみたい。民家も参加していてちょっとのぞき見気分が楽しい。
保存地区の手前にはアサヒビールの前身を作った元通産大臣高橋龍太郎翁の「高橋邸」が開放されている。
こちらも数々の古めかしいひな飾りが展示されていて、喫茶を頂けばこの邸宅を一時我が物気分が味わえる。実際地元の主婦数人がいつもの息抜きといったふうに上がり込んでコーヒーを飲んでいた。
隣接する一軒家はゲストハウスとして貸切宿泊もできる。
先ほど昼食を食べたレストランの隣の喫茶店も町屋づくりの2階が1日1組限定の宿になっていて魅力的だった。こういう町に暮らすように泊まる事ができるって、この内子という町は観光的にもずいぶん洗練されている印象を受ける。
緩やかな坂道から始まる保存地区、正式名称は「八日市護国の町並み」。漆喰塗籠め造りの重厚な建物は資料館や商店だけでなく、実際に人が住む家も混じっている。軒先の牛乳瓶入れ、格子の向こうから聞こえる飼い猫をあやす声、保存地区の通りを下校する中学生、観光客と生活者がほど良く入り交じった空間が心地よい。
この地区の豪商である芳我家は本芳我家を中心に上芳我、下芳我、中芳我などいくつもの分家に分かれていて、その家屋は公開非公開あれど、見どころある名所となっている。特に国の重要文化財に指定されている本芳我家の外観は当時の建築意匠がふんだんに使われていて、ここで一気に伝統文化のお勉強。
棟木や桁の端を風雨から守る懸魚(げぎょ)
目地の漆喰を海鼠のように盛り上げて塗った海鼠壁(なまこかべ)
漆喰を使った浮彫の鏝絵(こてえ)
虫籠のような虫籠窓(むしこまど)
棟の端を飾る鬼瓦(おにがわら)とそれを保護する帆かけの鳥衾(とりぶすま)
外側に張り出した出格子(でごうし)
商家の名残を残す折り畳み式の陳列・腰掛け台、床几(しょうぎ)
大きく上に開いて風通しを良くする蔀戸(しとみど)
うん。勉強になった。
宿に着いて荷物を下ろして、夕飯の時間まで散策。
すぐそばが中学校。町並みの景観と合わせるためにもともとの鉄筋コンクリ校舎を壊して平屋風の建物に変えたという。並んだ下駄箱が銭湯の入口みたいで微笑ましい。
この町を栄えさせた特産品木蝋の資料館がすぐ近くにある。本当は上芳我邸も隣接していて当時の暮らしぶりが覗けるのだけれどあいにく平成23年まで工事中。でも木蝋製造用具展示棟はジオラマを使った木蝋の製造工程や道具展示、映像資料があってこちらも見どころ十分。
あ、鯛そうめんで接待してる。
保存地区の一番奥にある高昌寺は約450年の歴史を持つ名刹。手前の大きな涅槃像が目印。桜の花が寄り添う階段に座って春の夕暮れを待つ。
ほとんどの観光施設や店が閉まり始めた夕方、少し早いけれども宿に戻る道すがらにまだ開いている所を見つけた。旧銀行頭取別邸の中芳我邸。
奥まった入口の木箱に200円を入れてそっと庭園に入る。なんだか泥棒みたいな気分。
庭園のすぐ側に母屋があって、ご主人とおぼしき老人達が普通におしゃべりしてる。見つかっちゃって(いや入場料払ってるしいいはずなんだけど)まごまごしてたら家の中に招き入れられた。
お言葉に甘えてお邪魔します…と中に入り、座布団に座ってしばし貸し切り状態で庭園鑑賞。
そのうち、ご老人から「どこから来たの?」と話しかけられ、そのまま中芳我家の歴史の話に突入。
足の不自由なご主人の代りになぜか私が部屋に上がり込んで奥の箪笥からアルバムを出してきて、ご主人の解説を聞く。奥さまがコーヒーを入れてくださって「この人の長話を聞いて頂けてありがたいです」なんて・・・。なんと客好きな人たちでしょう。
見せていただいた軍服姿の先代とそのご家族の写真は正に時代を表す資料。こうした伝統建築を残すご苦労や取材にやってきたロシア人との交流珍話など本当に面白くて、外が真っ暗になるまでお邪魔してしまいました。
こちらも隣接する倉をゲストハウスにしていて、中を見学させて頂いてけれどロフトがベッドルームになったシンプルモダンで素敵なインテリア。友達やカップルで来たらこんな所にも泊まりたいですねー。
http://utiko.nakahaga.com/
帰りの遅い私を心配して玄関の外で宿の主人が待っていてくれました。
早朝の散策もオススメとのことなので、明日は早起きして、またこの保存地区を歩いてみようと思います。